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作字

半芸術

ギグメンタ2015 企画「半芸術展」DMデザイン(2015)
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以下、ステートメントを引用。
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多くの情報や価値観はほぼ記号的にマスメディアによって供給され、個々の思考の大部分が無化された世紀末。情報を受けとる側の多くは白痴化していた。その時期に急成長して来たインターネットが、ある者を覚醒させ、またある者の白痴化を更に強化した。
まさにそれ、いや、これ、が、「今」である。
なにが幸せ?なにが楽しい?なにが成功?なにが良い?なにが正しい?
そんな根源の問いすらもマスメディア経由の得体の知れない力で漠然としたイメージに変換されコントロールされている。

そんな「今」、「半芸術」だ。
この言葉自体は後聞きであるが15年以上前に使っていた人がいたようだ。しかしそれを知ってか知らずか本展発案者の1人である小田島等のインスピレーションやニュアンスを想像しながら、今このテキストに向きあっている。また、本展参加作家が自分を含め、この「展示名」をどこまで把握、いかに理解し、または誤解しているのかはわからない。
反芸術 ≒ アンチアート。ではなくダブルミーニングとしての、「半芸術」≒ハーフアート。
この言葉を、もとい「半芸術家」という肩書きを、小田島からはじめて(※小田島は半芸術という単語を民芸コレクター軸原ヨウスケよりはじめて聞いたらしい)聞いた瞬間に脳裏に浮かんだのが昨今よく聞かれるパートタイムアーティストという言葉である。すると必然的にフルタイムアーティストという言葉が浮かぶ。いわんや、フルタイムアーティストとは作家業のみが生業である。この国には一体何人が存在するのだろうか…。かたや、パートタイムアーティストとは一業にあらずパートタイム≒アルバイトよろしく、複数の生業と作家業も兼ねる者で相当数いるのではないかと思われる。つまりこれはちょっとした経済問題であり労働問題でもある。

さて、現代美術はマルセル・デュシャンに端を発し、美術芸術の中心地が欧州から米国に移行した頃より、旧態依然とした既成概念の破壊や新たな価値の再構築が大きな機能になっていった。それは、あらかじめ反芸術的であったため、それがルーチン化、及びシステム化してしまった場合、現代美術そのものの意義や概念すら否定される。…このような先端的思考が早々にアンチ、再び捻れてさらなる反芸術に至ることは想像に難くない。またさらにそんな反芸術ですら元来の思考を照らし合わせた途端に硬直するという宿命的な構造にあるのだ。
それを観、知り、学んだ、つくる者、考える者は、また考える。いかにしてその延々と続く悪循環から抜け出すことが可能なのだろうかと。
そして思案の末ひとつの仮説に思いあたる。既に確立した惰性の芸術よりも芸術未満の方が、芸術に至る過程の方が、本質は芸術的なのではないか?と。
現実として、フルタイムアーティスト無き日本のパートタイムアーティストが多数存在するなら、芸術無き日本の半芸術に可能性を感じずにはおられない。

思えば20数年前、自分自身がペインティング制作に注力していた頃、芸術的日曜画家などという肩書きを使っていた時期があるのだが、これも本流たる現代美術界隈に対するカウンターたり得たい意思の現れであり、今「半芸術」と極めて近いのではないかと感じる。またこの場を借りてさらに言えば、数年前よりARTYという、言わばアート未満の領域またはアート以外(例えばエンターテーメントなど)の領域からアートを見出そうとする、すなわちハーフアート的な考え方で現在の美術、芸術を捉え直すことを提唱していた。マーケットを優先、作品の商品性を優先するあまり芸術性が希薄にならざるを得ないのであれば本末転倒ではないか?であれば、あえて属性を持たず勝手にやる。とにかくつくる。自由?自立?インディペンデント?なものの方が面白いのではないか?
鬱屈とした社会情勢下、このような、または似た思考で何かに所属することなく最新、最高の美術、芸術を志した者は意外に多いのではないかと推察する。しかし全体主義対個人主義、ではなくその中間的な「半」。二極化の否定。新たな、積極的な半端の肯定。

もはや理由は再び述べるまでもないだろう。
どっち?いや、なにがよりシリアス?なにがよりリアルか?
大文字のアートはつまり体制でありメジャーでありパワーである。そこにアジャスト出来ない、またはあえて距離をとる者が「半芸術」を思考するのではないか?
重ねて言う。反ではない。ハイパワーを脱臼させるハーフパワー≒ローパワー。つまり端から対立構造ではない、しかしこれはバッドループから逃れるための、新しいカタチの抵抗なのだ。ここまで便宜上、美術をメジャーとマイナー、外部と内部、のような対抗軸で語って来たが実のところそこに境界線はない。外部は内部を正に内包しているのだから。

誰かの決めたジャンルやカテゴリーだけに囚われたくない。では誰がその可否や良し悪しを判断するのか?
それは、作品や展示を観たあなたであり、つくるあなた≒わたし、である。
さあ、考えてみよう。さあ、なにか、やってみよう。そう、まずはやるんだよ。ARTY DO IT!
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